サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【紀行雑記2-1 円卓に踊る】

空港に降り立てば、その国の匂いを感じる。それは変哲のないただの匂いなのだけど、その国の食や暮らし、文化、そして人々を内包している。景色や音で繕っても、"匂い"だけは嘘をつかない。

 

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北京の雑踏に立つ。たくさんの車やバイク、自転車がひっきりなしに行き交い、クラクションは鳴り止まない。週末夜の交差点では信号という概念が消失し、4方向からの車や人々が交差点を埋め尽くす。見上げれば成長を象徴する高層ビルの脇に、未舗装の小道が続くその構図は、ともすればこの国の縮図のようにも思われる。

 

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2週間の滞在の間、夕食は基本的に中華料理である。丸テーブルに座り、大皿を待つ。私の隣にはニュージーランド人が座り、反対には中国人が座る。酢豚、餃子、派金ダック…大半の料理は名前どころか具材すらよくわからない。ただ運ばれてきた名も知らぬ料理たちは我先に胃袋に入らんと、盛んに湯気を立て食欲をそそっている。

 

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中華料理でよく使われる円卓、回転テーブルの発祥は東京目黒らしい、という話を聞く。中国の古くからの伝統であるように映るそれは最近になって日本の中華料理屋から逆輸入された。中華料理店の店主が、大皿が基本の中華料理を大人数でも食べやすく、と考えたのが始まりだ。その後中国に伝えられた回転テーブルは国全土へと広がってゆく。近くて遠い異国文化の中に日本を見た気がした。

 

慣れないものにとって円卓での食事は意外と難しい。それは(少し回りくどく言えば)円卓の物理的回転が食欲という精神的現象に依存するからだ。自分の食欲と、他人への気遣いの間で円卓は回り、料理たちは踊る。

 

 

会って間もない人と円卓を囲めば、その人の個性が見えたりする。それが異国の人であればなおさら深い。その直感は言葉の壁をすり抜けて相手の国や文化、そしてその人自身の奥へと入っていく。

 

 

円卓に踊るのは、我々の精神それ自身かもしれない。