サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【カサブタさんと見つめ合う】

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風が少しずつ冷たくなる。空は少しずつ高くなって、夜は少しずつ澄んでいく。あんなに長かった夏はもう遥か遠い過去のことのようで青々としていたキャンパスの木々は赤黄色の厚化粧を纏い、まるで別人のようである。

 

 

また前回の更新から期間が空いてしまった。これにはとても複雑で複合的な原因があるのだけど、時間の浪費以上になにも生まないのでそれについて語ることはしない。ただ、この季節は人を(少なくとも私を)少しだけ陰鬱にする。

 

 

さて、なんだかいろいろなことを考えては下書きに残したり、PCやノートの端や落書き帳にツラツラと書き付けていたので沢山のことを書いたつもりになっていたが(特に恋愛の相転移や横断歩道の最適化問題などは既に発表したつもりになっていたが)、今見たところどうやら私は中国料理以降、無言だったらしい。

(数理的な話をしたと思っていたので)今回はそういう数学や物理からは離れてぼーっと思考実験をしてみた話をしようと思う。なんの脈略もない。オチもなければ含蓄だってない。ただ単に"そう思った"という話だ。

 

 

私の右足の、くるぶしの上あたりに分厚いカサブタがある。最近履き始めた靴のせいで作ったものだ。少し前までは生々しい擦り傷だったが、この程晴れてカサブタさんに昇格した。

カサブタを見つければ"剥がしたい"と思うのは私だけなのだろうか。否、きっとこれは人類統合の精神だろう(無論全ての物事には常に"例外"が存在する)。

ではどうして我々はカサブタを剥がしたいのだろうか?これが今回のテーマである。

 

 

例えば食欲なら、これは生物として生存に不可欠な摂食行動という立派な大義名分がある。睡眠欲だったそうだ。眠らなければ人は等しく死んでしまう。性欲だってその必要性は生物学が保証するところにあるだろう。

じゃあカサブタさんはどうか?私が今こうして右足の分厚いカサブタさんと格闘しているのには一体どんな理由があるのだろうか?

 

理由1、カサブタを剥がせば良いことがある。(積極的効用)

 

理由2、カサブタを剥がさないと不都合がある。(消極的効用)

 

理由1だとするとカサブタを剥がせば何かラッキーなことがあるということになるが、今見る限りカサブタの向こうにあるのは明るい未来などではなくて、固まりきらない血の海である。剥がした瞬間に指先が赤く染まるのは目に見えている。無念。

では理由2はどうか。うーん。色々と調べてみてもカサブタを置いておくことのメリットとカサブタを剥がすことのデメリットは数あれど、カサブタを剥がすことのメリットは特に見当たらない。またまた無念。

…いやいや、まだ諦めない。

 

理由3、カサブタは体の一部ではない。(潔癖説)

 

誰しも体に汗がついているのは不快だ。チャリンコに乗る汚いおっさんが道に吐くタンも不快だし、鼻くそだって目くそだって不快だ。

それらはみんな元々は自分の体の一部だったはずなのに、なんだかすごく不快に感じる。カサブタもその類なのかもしれない。たしかにあの頃自分を守ってくれていたカサブタさんは、今ではもう不快な厄介者になってしまったのだろうか?

 

 

…まてまて、考えてもみれば全ての欲望に合理的な理由があるだろうか?

ヒゲを指で抜きたがる、横断歩道は白いところだけを歩きたがるし、ボタンがあれば押したくなる…世界には"ワケのわからない欲望"が溢れている。本当にワケがわからない。

これはある意味で科学の敗北だ。現象を論理的に紐解くことを一義とし、幾多数多の難問を解決してきた科学はカサブタさんの前では無力なのだ。無精髭にも白線の連続にもバスの停車ボタンにも全く勝ち目がない。我々は猛省すべきかもしれない…。

 

 

しかし他方、ワケのわからない欲望は、時として人を幸せにする。生活を豊かにする。それはともすれば思考停止と揶揄されるかもしれないけれど、カサブタさん退治こそ"人間らしさ"の表象かもしれない。混迷の世界で、ワケのわからない欲望こそ、"ワタシ"の証明かもしれない。

 

 

ほら、こうして私が誰かと手を繋ぎたいと思うことだって理由は全くわからない。それは高邁に発達した科学にとって未解決の難問だ。けれど、そこに明瞭な論理関係なんかなくたって、手を繋げば人はきっと幸せになる。

 

カサブタさんと向き合う5秒間は、科学の未熟さと、我々の存在証明を与えるかもしれない。