サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【夕立に傘を持たない私は】

…ここ数日、イッキに気温が上がって、まだ環境に適応できないニンゲンの代わりにそこいらの室外機は、類を見ないイキオイで泣き喚いている。青空に生える入道雲はいよいよその存在感を増して。例えばもし、絵だけの国語辞典があったなら、もくもく、の欄にはきっとこの入道雲が使われるだろう。

 

 

これは雨の話だ。

 

 

…私の住むアパートの近くには茶色のネコがいて、大抵そいつは誰も気づかぬくらい自然に灰色のコンクリに寝そべっている。モチロン、気づかれぬままそいつがクルマに轢かれるところを見たことはないけど。今日だってそいつはやっぱり寝そべっていて、私がいつものように挨拶すると、さっきまで微睡に浸かっていたそいつの両眼がこちらを一瞥する。刹那、私はこの世界から私とそいつ以外の全てを捨象する。照り始めた太陽も風も道ゆく小学生の背中で揺れるランドセルも。そこにはそいつと私しかいない。または、世界にはそいつと私以外の全てがあって我々のいた空間だけぽっかりと空いてしまったようにも思える。もしあの哲学者の言うように世界が言語から成っているなら、我々はどんな言葉を持っているだろう、問いかけたところでそいつはにゃあと短く私を宥めて、それでおしまいだ。

 

 

これは雨の話だ。

 

 

…昔どこかで見た戦争の映像を思い出す。それは百年戦争でも独立戦争でも世界大戦でもなくて、今この瞬間、どこかで起きているらしい映像だった。テレビに映るキャスターは表情1つ変えず与えられた原稿を読んでいる。きっと伝える彼にも伝えられる私にも戦争の実感なんてまるで無くて、彼はただ冷ややかに仕事を遂行するし、私はただ無関心に流れる音を右耳から左耳へと流すだけなのだ。私とキャスターの間には悲しみも憂いも、もちろん喜びだって存在せず、空間に投げ捨てられた文字がまるで水面波みたいに広がって消えていく、それだけ。でもそれだって、何もない、という幸せを含んでいるようで、少し顧みればお隣の国からミサイルが飛んでくるかもしれないし、明日大きな地震が来るかもしれない。何もない、何もない平和。

 

 

これは雨の話だ。

 

 

…少し検索すればわかることだが、巷には学術的成果、というのが溢れている。アレガデキタコレガデキタと宣うては、いちいち成果と読んで後生大事に抱えている。私もその一端を担っているわけなので大きな口は叩けないけど。人類はもう殆ど全て分かったような顔をして、実はそこに揺蕩うコーヒーの湯気について殆ど何も知らない。我々の出自も宇宙の始まりも、氷がどうして出来るかすら、まだ全然わからない。

 

 

これは雨の話だ。

 

 

…研究室を出たところで夕立にあった。降り出した通り雨はぐっしょりとコンクリを濡らし、景色にグレーのフィルターをかける。傘を持たない私は路頭に迷った難民みたいにどうすることもできずただ立ち尽くすだけ。コントラスト、大粒の雨は私の肩でずっと踊る。脇を走るクルマは少し速度を上げて、一刻も早くこの鬱蒼たる世界を抜け出そうとしている。

 

 

これは雨の話かもしれたい。

 

 

雨に濡れた私は雨上がりのムッとする空気の中で、さっきまで顔にこびりついていた傲慢さや悲愴や虚栄心を思い出す。洗い流された後の私にはもう殆どなにも残っておらず、がらんどうになった肋骨の内側あたりを覗いてみると、近くに住む毛むくじゃらのトモダチや、世界の遠くにある過去の記憶や、人類についての厭世的な憂いばかりが残っている。顔面に塗りたくったドロの奥にある私を作るものの多くは私以外の他愛ない何かで、私はただその事実に気づくのみである。気づく私だけが私を規定する。私以外の全てから私を掬い出す。雨が上がった後、雲間から夕焼けが見える。

 

 

 

 

これは雨の話だ。