サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【紀行雑記3-1 北へ運ばれる妄想】

冬の日本海に巣食う旨い魚が食べたくなって、金沢へ。

 

旨い魚に出会うためには、魚が会いに来るか、魚に会いに行くしかない。有難いことに、文明の発達は両者の差異を矮小化したけれど、それでもやっぱり新鮮な魚に会いに行く方がいいに決まっている。

だからこうして高速バスに揺られているわけだが、考えてみると魚が運ばれる場合と我々が運ばれる場合は、(向かう方向を除いて)ほとんど同じことかもしれない。私もスーパーへ運ばれて来る多くの魚と同じように綺麗に整列させられてギュッと押し込まれた車内で小さくなっている。

 

 

走る車窓は次第に白さを増し、雪深い北陸の様相を呈する。残念なことに長いトンネルはないので、抜けると雪国、というような雰囲気ではないけれど…ごめんね康成という感じ。

 

窓に映る白銀の世界をぼーっと眺めていると、ポツポツと建つ古い家屋が目に入る。そういえば、屋根の角度ってどうやって決まるのだろう…そのふとした瞬間に生じた疑問は、流れる高速道路を進むにつれ、やがて1つの妄想へ昇華する。

 

屋根の角度と文化の繋がり。

 

ある地域に存在する文化や伝統を何か定性的に、または定量的にパラメトライズするという営みは、"人間性"を対象とする学問において、侭見られることである。

そういう文脈において、屋根の角度というパラメタを考えることもできるんじゃないか…。

 

 

例えばシンプルなところで言うと、降雪量が大きな地域ほど屋根の角度は急になる気がするし、使われる建材の材料科学的特性によっても屋根の角度は変わって来るのではないか。

降雪量は地域の農作物を制限するし、建材は農林業に依存する。

農作物は人の生活や信仰を支配するし、農林業は地域の自然体系を左右する。

 

…なんだか"風が吹けば桶屋が儲かる"理論になってしまったけれど、勿論あくまでこれは仮設。ホントのところはわからない。

 

 

ややあって、携帯電話から目線を上げると、白波を湛えた日本海が広がっていた。

 

 

今私がそうしているように、雪国から運ばれて来る魚たちは、雪降る屋根の下に色付く文化に思い馳せているのかもしれない。

 

f:id:moshimoshi1124kameyo2254:20180302160453j:image