サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【紅葉と感動するミドリムシ】

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ねっとりとした残暑はもう、遠い昔のようである。秋風は空天井をぐいっと押し上げて、青空はとても高く、その向こうの宇宙を思わせる透明感で持って秋を盛り立てる。

 

さて、またまた日にちが開いてしまった。無意味な弁明をしておくと、これは私の生活特有のもので、毎年10月の後半から11月の前半は躁鬱的になってしまうのである。まあしかし、それももう終わりに近づいて、あとはクリスマスとお正月を待つのみである。

 

 

 

今回は秋の紅葉とミドリムシのお話である。誇大妄想癖に拍車をかけていこう。

 

先日私は紅葉狩りに京都へ出かけた。同伴者は生物系の人であったので、無論話は"どうして葉は赤黄色になるのか"という話題にもなる。私は植物などについては本当に門外漢なので、聞き役に回るのだが、非常に面白い話であった。

 

具体的な内容は割愛するが、興味のある方は調べると良いと思う。私が面白いと感じたのは、"紅葉"という文学的で情緒的な現象が、生物学のメガネを通して見ると如何にロジカルか、という部分である。その論理は非常に洗練されていて、抜け目なく美しい。頰を赤らめる木々の真意はとても論理的で冷淡なのかもしれない。

 

 

他方、学会帰りの指導教員に興味深い研究を聞いた。簡潔に述べると、ミドリムシが強い磁場の空間内で磁場の方向へと動くというものである。これはミドリムシの細胞壁に存在する分子の配向性に起因する現象で、物理化学的にはさほど複雑ではないようだ。

 

否しかし、強い磁場の箱に入れられたミドリムシはどんな気持ちなのだろう。私だって時には(それはとても短い時間だけれど)他者の気持ちを考えることだってあるのだ。

ミドリムシは苦しいのだろうか。本当は動きたくないのに(それはまるで冬の朝の毛布の中のような)無理矢理に動かされているのかもしれない。

しかし、こういう想像もできる。つまり、ミドリムシは自分の意思で動きたいから動いている(とミドリムシは思っている)ということだ。それは私たちが美しい景色を求めたり、暖かい陽だまりを求めたりするのと同じように、そこに何か求めたいものがあると(ミドリムシは思っている)のかもしれない。彼らは何かに感動するために箱の中を泳ぐと(ミドリムシは思っている)のかもしれない。

 

 

多くの人が、自己の意思について議論を重ねてきた。それは難しい話ではなくて、どうして私はカレーうどんを食べるんだろうか。とかどうしてボクはキミのことが好きなんだろうか。とか…。

それは神様とか自然科学が決めることなんだろうか。それともそういう類のものとは違うもの(もっと神秘的な何か)のせいなんだろうか。

 

 

何も分からなくなってくる。私の喜怒哀楽は単に神経の電磁気学的相互作用かもしれない。今宵、誰かに愛を伝える人の言葉は、電流と振動の作用かもしれない。

 

しかし、それで良いのだろう。分からないのは分からないなりに。ただ眼前にある喜怒哀楽を信じれば良いのだろう。ミドリムシが心地よいのであれば、それ以上のことは知らなくていい。モミジが美しいのであればそれ以上のことは分からなくてもいい。

そして何より、我々が(モミジのように)頰を赤らめることがたとえ物理学的現象の帰結であろうとも、それはそれとして、そこに大切な何かがあるのなら、それで十分なのだろう。

 

自由意志とは、そういうものかもしれないと、時々思ったりする。

 

 

オチのない話が長くなってしまった。もう年の瀬も間近だ。鬼に笑われぬよう、残り少ない日々を大切に。