読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サングラス越しの世界

色付きの世界を綴る日々の雑文集

【文字を綴ること】

どうしてこのご時世にブログなのか、というご指摘は至極ごもっともである。特段、伝えたいことがあるわけでなし、また伝えようと思うことがあったとしてもブログなんて書く人以外の誰が読むのか。

だが考えてみると、人類が誕生してから今日まで、"どうして綴るのか"に納得できる答えを得たことなどあるのだろうか。"徒然なるままに"ダラダラ書かれたものや、"男もすなる日記といふものを女もしてみむ"とナゾの動機で書かれたものが教科書にのり、多くの人に暗唱されているのが現状である。

しかしながら、何事にも理由をつけたい時代である。「どうして政治資金でウナギ屋にいったんですか?」にたいして、「食いたかった」以外の答えがあるだろうか。そういう類の質問にまで皆が納得のいく言い訳を考えなければならない時代である。はて、私はなぜ綴るのか。

(以下言い訳)
『文字の寿命』は加速し続けている。昔(そんな時代があったのかどうか知らないが)伝書鳩が手紙を届けていた頃、または、飛脚がエッコラエッコラ届けていた頃、人々は届いた文を後生大事に持っていたろう。文字の寿命は人の寿命と同じくらいであった。
少し前の時代、人類がメールなる技術を発明し、文字の寿命は恐ろしく短くなった。読んだメールはゴミ箱にポイッ、である。長生きなやつでも数日といったところであろうか。
そして現在、文字の寿命は数秒である。某青い鳥のSNSやfaceなbookに産み落とされた文字たちは少しでも余所見をすると知らぬ間に死んでいる。

このままではいつか、我々が文字の寿命をゼロにする日が来るのではないか。

いつの時代にも世相の流れに逆行するものがいて、(少なくとも歴史的に見れば)彼らはある一定の役割をなしている。
ならば私も文字の寿命が加速する時代に、長く長く生きる文字を生んでやってもいいのではないかと、そういう考えでこうして長生きな文字たちを生んでいるわけである。

(以上言い訳)

ダラダラと言い訳を綴ったが、何もたいそうなことはない、どーでもいい時代の、どーでもいい場所で、どーでもいい男が、どーでもいいことをツラツラと綴るのみである。
いつかどこか、だれかの暇つぶしになれば幸いである。